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鉄骨住宅・工業化住宅【プレハブ住宅の歴史】

商品化住宅の登場1959年にプレハブ住宅(工業化住宅)が開発されて以来、大手ハウスメーカーの参入企業が相次ぎましたが、躯体部分の工業化、販売方法の確立が各社にとって重要テーマでした。産業化か進む過程で特徴的な現象は、

 

①家内工業的生産システムからの脱皮

 

②ナショナル(全国)ブランド商品の登場

 

③広域供給ネットワークの形成

 

の3点が同時進行することです。住宅の場合も同様の経緯がみられました。今日の住宅産業の主要な担い手は、企業ブランドと商品ブランドの総合的信頼性をセールスポイントとするブラッド住宅メーカーです。そして、そのブランド住宅の先駆となったのが大和ハウスエ業(1955年創業)のプレハブ住宅第1号「ミゼットハウス」(1959年開発・発売)です。小型住宅”の意味をもつこの商品は、当初は勉強部屋用として発売されましたが、その後、改良が加えられて本格的なプレハブ住宅へと発展していきました。ミゼットハウス発表の翌年、1960年には積水(ウス産業(現在の積水ハウス)が創業、61年には松下電工に住宅事業部(後にパナホームに発展)(2018年に、パナソニック ホームズに社名変更雄)が設立されています。

 

 

プレハブ建築協会の誕生でシェアを大きく伸ばす!!

 このころ、ミサワ木材(ミサワホームの前身)や日本鋼管、中高層メーカーの大成プレハブ(現在の大成ユーレック)などがプレハブ住宅の生産・販売をしており、これらの企業が集まって1963年1月、社団法人プレハブ建築協会が設立されました。プレハブ建築協会発足時の会員数は正会員37社、賛助会員(資材メーカーなど)27社、計64社でした。前述のメーカーのほか、トヨタ自動車系の豊田コンクリート(現在のトヨタT&S建設)、新日鉄系の八幡エコンスチール(現在の日鉄建材工業)などが名をつらねました。その後、積水化学工業、旭化成、大成建設、クボタハウス(現在の三洋ホームズ)、小堀住建(現在のエスーバイーエル)などがプレハブ住宅分野に参加し、成長期を迎えていきます。

 

プレハブエ法は新しい住宅生産システムであり、商品化するためには当時、建築基準法の特認を受ける必要がありました。また、部材を工場で生産することから、部材のモジュール(基本寸法)を含めて躯体(構造体)をどう構成し、いかに合理的にアッセンブル(組立て)するかという点が、商品開発の最大のテーマでした。草創期のプレハブ各社にとっては、こうした「躯体の工業化」に加え、「販売方法の確立」も重要テーマでした。当時の販売戸数は月間10戸というレベルであり、多くのユーザーにとってプレハブ住宅は、「未知の商品」だったからです。そこで考案されたのが、実際の住宅をモデル住宅として展示する手法です。総合住宅展示場は、新商品のおひろめの場であるわけですが、それとともにユーザーに実物に触れてもらうことにより、普及への足掛かりの役割を果たし、現在に至っているのです。

 

 

住宅ローンをテコに急拡大したプレハブ住宅!!

昭和40年代は住宅ローンの拡大に支えられ空前の住宅ブームになりました。プレハブ住宅にはユニット工法が登場し、メーカー各社は急成長の波に乗りました。プレハブ建築協会の調べでは、1962年当時のプレハブ住宅の年間供給量は推測で5000戸と、全住宅に占めるシェアは1%にも達しませんでした。その後、年販数万戸規模の大手メーカーが続出し、プレハブ住宅は住宅産業の主役の座を占めていくのです。その成長は、前述のモデル住宅の展示という販売革命に加えて、住宅金融の拡充という金融市場の変化も大きな支えになっていました。

 

昭和40年代は人口の都市部への集中にともなう大都市圏での住宅数の不足、所得倍増計画に象徴される所得向上を背景に、空前の住宅建設ブームが続きました。新設住宅着工戸数は第一次オイルショックの前年、昭和47(1972)年には史上最高の200万戸台を記録しました。このブームを支えたのが住宅ローンの資金量拡大です。戦後一貰して重厚長大型など産業部門に注がれてきた民間金融機関の資金が、ようやく消費者ローンヘシフトしはじめたのです。その後の10年間で約42倍にも急拡大を遂げたのです。この時期には、公的ローンとしての住宅金融公庫の資金量、融資条件も年々改善されていました。その結果、住宅ローンが増え、国民の住宅への要求の高まりと所得の向上があいまって、住宅ブームを支えたのです。

 

 

ユニット工法が登場

住宅ブームの追い風に乗った形で、プレハブ住宅(工業化住宅)は年々シェアを拡大し、昭和48(1973)年には15万戸、全住宅に占める割合は9%に達しました。この間、特筆されることは46年2月、積水化学工業がユニットエ法による「セキスイハイム」を発売したことです。ユニットエ法とは、工場の生産ラインで構造体をはじめキッチン、浴槽などの住設機器から配線・配管までを生産し、現場ではクレーンで据え付けるだけで住宅を完成させる、『完全工業化』が特徴の手法です。販売価格に占める工場生産比率を80%以上に引き上げ、現場の施工工程を大幅に合理化した。究極のプレハブエ法であり、同社はこの手法により大手メーカーの仲間入りを果たしていきます。

 

またこの時期は、化学、繊維、自動車、鉄鋼など異業種から住宅へ新規参入する企業が相次ぎました。そして第一次オイルショックが発生するまでの間、旺盛な住宅需要を背景にプレハブ住宅メーカー各社は急成長を続けました。プレハブ住宅産業にとって、この時期が第1次成長期であったといえます。

 

 

企画住宅の誕生

住宅産業が昭和40年代の住宅建設ブーム期に急成長を遂げてきたことはすでにみてきました。しかし48年のオイルショックの発生で着工戸数が激減し、50年代の初めにかけて大きな試練の時期を迎えました。「つくれば売れる時代」のあとの苦難の時期です。この時期、ミサワホームの企画住宅「O型」の発売は、売れる時代から。『企画力で売る』時代を切り開くエポックとなり、再び商品開発競争による新たな競合・成長の時代に突入したのです。

 

 

◆コンペ方式で技術力アップ

プレハブ建築協会の創設は、良質な住宅の大量供給を目指す建設省(当時)のプレハブ産業育成策の象徴といえます。その後、建設省は公団住宅、公営住宅用のPC板(プレキャストーコックリートーパネル)生産工場の育成に力を入れたり、プレハブ住宅の普及をねらいとする住宅金融公庫承認住宅制度など、ハードーソフト両面からの支援策を打ち出した時期もありました。

 

また、技術開発コンペ(競技)方式による工業化住宅の育成・普及も活発に行なわれました。その第1弾が、建設省が1970年に実施したパイロットハウス技術考案競技です。これはアメリカの技術考案競技、住宅ブレークスルー(突破作戦)をお手本に工業化住宅の技術水準向上を目的に行なわれたものであり、一戸建て、中高層住宅メーカーの技術スタッフに大きな刺激を与えるものでした。次いで72年には、芦屋浜高層住宅プロジェクト提案競技が同じく建設省によって実施されています。このコンペは団地スケールでの高層住宅工業化技術の開発が大きな目的で、その入選作は芦屋市に建設されています。

 

その後、1976年にはハウス55(新住宅供給システム)提案競技が、当時の建設・通産両省によって行なわれています。このハウス55計画では、一戸建てプレハブ住宅の新素材開発とコストの大幅低減(昭和55年価格で550万円を目指すことからハウス55計画と呼ばれましたが、この価格は当時の平均水準の2分の1というもの)が目的でした。これらのコンペは、芦屋浜のプロジェクトが阪神淡路大震災でダメージを受けるなど、目的と結果に相当なズレがあったのも事実です。しかし、住宅産業の開花期、若い行政スタッフが情熱を傾けて官民による日本の住宅開発技術のレベルアップにチャレンジしたものとして、歴史に残るべきものといえます。

 

この時期、ツーバイフォー工法のオープン化をめぐっては、特認方式の維持を目指していた建設省に対して、オープン化こそ日本のビルダー、ユーザーにとってメリットがあるとして、関係者がホームビルダーの任意団体を結成、アメリカのフレーマー(大工)を招いて一大デモンストレーションを行いました。

 

 

住宅業界のリード役であるプレハブ住宅!!

プレハブ住宅の登場が住宅市場の産業化を大きく促しました。今後も工業化手法により、商品開発、価格政策などの面でリード役を担うでしょう。プレハブ住宅の新設着工戸数は、旧建設省がプレハブ住宅を初めて『住宅着工統計』にカウントした1973年では15万戸、全着工戸数に占めるシェアは8.5%でした。その後、量販・量産システムのメリットを活かして戸数、シェアともに着実に上昇を続け、商品開発、販売価格面で住宅市場をリードしてきました。

 

1990年代の前半には25万戸台を記録する年もありましたが、近年では20万戸を割り、全着工戸数に占めるシェアは15%前後で推移しています。これは、バブル後の長期の景気低迷と住宅着工の落ち込みにより競争が激化、一部のメーカーが市場から撤退したことなどが要因と言われています。戸数、シェアはやや伸び悩みの傾向にありますが、商品開発力、生活提案能力、アフターメンテナンスなどトータルな供給システムは充実しており、今後も業界のリード役を担い続けていくものと考えられます。

 

 

寡占化か進むプレハブ市場

プレハブ建築協会の調査によると、プレハブ住宅業界においては上位メーカーによる寡占化か進んでおり、優勝劣敗の傾向が強まっているようです。

 

プレハブ建築協会会員企業が2018年度に販売したプレハブ住宅は約20万7000戸でした。このうち上位10社で約18万4000戸を販売、そのシェアは88.5%。さらに、上位5社のシェアは78.6%で、大手5社で8割強を占める結果となり、寡占化の実状が浮き彫りとなっています。トップは積水ハウスで、次いで大和ハウスエ業、ミサワホーム、積水化学工業、旭化成ホームズ、パナソニック ホームズなどで、上位7社は1万戸ラインを突破しています。ちなみに、海外では年販1万戸メーカーは皆無であり、我が国の住宅メーカーの販売規模の大きさが際だっていることがわかります。
一戸建て注文住宅部門では、積水ハウス、ミサワホーム、積水化学工業、旭化成ホームズ、大和ハウス工業、パナソニック ホームズなどの順となっています。一戸建て注文住宅メーカー上位10社のシェアは99.4%となっており、この部門での寡占化が特に目立っています。

 

 

ブランドの信用力も決め手

プレハブをはじめ住宅業界では、ユーザーのブランド志向が非常に高まっています。供給サイドにとっては信頼性の獲得が競争力の1つの決め手といえます。近年のプレハブ住宅に寡占化傾向が顕著なのは、ユーザーのブランド志向が1つの要因ですが、この傾向は住宅一般に広がっています。住宅という商品は、ユーザーにとっては一生に1度ないし2度の『高い買物』です。商品としての性能、機能、価格、デザインなどに加えて、入居後の長期にわたるアフターサービス、メンテナンスへの信頼性も、住宅を選ぶ際の重要な要件となります。地域の有力工務店・ビルダーにとっても、こうした信頼性への要求に応えられるブランドを備えることが市場競争力の1つの決め手といえます。

 

ここでは、経済産業省が毎年実施している『住宅・住宅設備に関するCSアンケート調査』を使って検討してみましょう。調査対象となった住宅はメーカー主要12社が供給した一戸建て住宅から無作為抽出した4000戸。購入者の属性、購入動機、購入価格、満足度などが主な調査項目です。2016年度の調査結果のうち「住宅に対する総合的な満足度」は、「非常に満足」が23%、「満足」が51%、「まあまあ満足」が21%となり、その合計の。満足度”は95%に達しています。満足度”が9割を超えたのは1999年度のことであり、その後、総合的な評価が年々高まっているという結果になっています。また、「購入の動機」は「大手メーカーだから安心」が80%、「耐久性、高断熱など品質性能が優れている」が70%と高く、次いで「営業担当者の説明、企画提案、知識に納得できた」が54%、「アフターサービス制度が良いから」50%などとなっています。これはプレハブ住宅の購入者を対象とした調査ですが、ユーザーサイドの『大手メーカー志向』『ブランド志向』の強さを読み取ることができます。

 

 

 

 

 

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